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釧路地方裁判所 昭和36年(わ)120号 判決 1961年10月16日

被告人 千葉敏

昭一一・六・二六生 海産物仲買業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

「被告人は、昭和三六年六月二二日午後九時一五分ころ、根室市花咲港六五番地飲食店「ほがらか」こと出田すずえ方において、小形寿男(当時二三年)と飲酒中、さ細なことで同人と口論となり、同人が左手でサバサキを取り出すや、憤慨してその手を両手でつかんで同人の左大腿部を一回突き刺し、よつて同人に左大腿を貫通する刺創(股動脈全切断)を負わせた結果、翌二三日午前〇時四五分ころ、同市常盤町二丁目藤条病院において、同人をして右刺創による失血のため死亡するに至らしめたものである。」

というのである。

よつて考えてみるのに、証人南木昭の当公判廷における供述、被告人の当公判廷における供述ならびに検察官に対する供述調書医師桑野鉄四郎作成の鑑定書、医師藤条久成作成の死亡診断書および領置してある「サバサキ」一丁(昭和三六年押第四八号)によれば、検察官主張のように、昭和三六年六月二二日午後九時過根室市花咲港六五番地飲食店「ほがらか」において、被告人と小形寿男とがさ細なことから口論となり、寿男がやにわに左手で「サバサキ」をとりだしたこと、これをみた被告人が、その手を両手でつかみ、上から押さえつけて争つているうち、その「サバサキ」が寿男の左大腿部に突き刺さつたこと、その結果、寿男は、同所を貫通する刺創(股動脈全切断)による失血のため、翌二三日午前一時四五分ころ、同市常盤町二丁目五番地にある藤条病院において死亡するに至つたことなどを認めることができる。

検察官は、「被告人が、右のように小形の左手を両手で上から押さえつけ、さらに押し下げた暴行により本件結果が発生したのであるから、過剰防衛はともかく、正当防衛の成立する余地はない。」と主張し、弁護人は、被告人の行為は、とつさの場合の反射的な行動であり、暴行の意思がなかつたのであるから、被告人としては、過失致死の刑責を負うに過ぎない。」旨争つているが、被告人が寿男の左手を両手でつかみ、上から押さえつけ、かつ、後記認定のように、これに強い力が加わつている以上、このような行動に伴なつた意思が存在したものと推認するのが相当であり、従つて、一応、外形的には暴行があつたものと考えられる。なお、この点に関し、検察官は被告人が寿男の「サバサキ」をもつている左手を上から押さえつけただけではなく、さらに押し下げたため、寿男は本件のような傷害を負つた旨主張しており、南木昭および被告人の検察官に対する各供述調書中には、一応右主張にそうような供述記載もみられるが証人南木昭の当公判廷における供述に小形松三郎の検察官に対する供述調書をあわせ考えると、きき腕でない左手を被告人の両手で上から押さえつけられた寿男としては、左手による抵抗力を失なつたか、または、その左手を引こうとして、上から押さえつけている被告人の力に反撥する力を失なつたため、急激に落下するように、「サバサキ」が寿男の左大腿部に突き刺さつたものと認めるのが相当であつて、次第に押し下げられたものと認めることはできないし、南木昭らの「押し下げた」旨の供述記載も、右認定事実を外形的、皮相的に観察したものとして、あるいは結果的にこれを認めたものとして、評価しうるので、右認定と矛盾するところはないと考えられる。また、後記認定のように当時相当酔つており、年令も若く、体格のがん健な被告人であるから、当時その両手に加わつた力は、寿男の左大腿部を貫通するに足りる程度のものであつたと認めることができる。

次に前掲各証拠および小形松三郎の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人と寿男とが、「ほがらか」で前示のように口論をした際には、両名とも相当酔つており、寿男は、酔うと気が短かく、喧嘩ばやい男であること、被告人と寿男とは、ともに、やくざで兄弟分の関係にあり、寿男が、酔うと誰彼の区別がつかなくなり、「ふうてん」と噂される性格の持主であるのを被告人は知つていること、そして、被告人と寿男とが「ほがらか」で飲んでいるうち、かねて被告人が世話になつたことのある加藤兼太郎を、寿男が「馬喰ではないか。」などと悪口を言つたことから口論となり、被告人が執ような寿男に対し、「くどい。俺の話がわからないのか、お前とは弟分としての縁をきる。」といつたところ、寿男は、これに憤慨して左手で「サバサキ」を逆手にもつてとり出したこと、これをみた被告人は、相手が右のような性癖の持主であるところから、危険を感じ、前示のとおり、両手で寿男の左手を押さえつけたことなどを認めることができ、これらの事実と後記認定のような被告人らの位置関係などから判断すると、被告人は、寿男の急迫不正の侵害に対し、自己を防衛するため、右のような行為に出たものと認めるのが相当である。

そこで、進んで被告人の右行為が「やむことを得ない」ものであるかどうかについて考えることとする。前掲各証拠に司法警察員作成の実況見分調書二通を総合すると、被告人と寿男とは、当時「ほがらか」の二階ホールにある、巾一メートル足らずの椅子に、被告人が外部に面した窓側の隅に坐り、寿男がその右側に相接して坐つており、同人らの前にはテーブルが置いてあつて、その向側の椅子には、同人らと相対して南木昭が腰かけていたこと、寿男は、負傷した右手にほう帯をまき、これを首からつつていたが、被告人に対しては「かすり傷だ」といつて既に「ほがらか」では、つるのをやめていたこと、「サバサキ」が寿男によつてとり出されてから本件傷害を受けるにいたるまでは、被告人にとつて予期できない瞬間的な出来事であつたこと、その際、両者は坐つたまま向い合つていたことなどの諸事実が認められ、これに、前示のとおり、寿男が「サバサキ」を逆手にもつていたことをあわせ考えると、被告人が寿男の左手を両手で上から強力に押さえつけたことは、たとえ前に南木がいたとしても、行動の自由を制約された状態にある被告人にとつて、必要な防衛手段であつたということができる。また、「ふうてん」と噂され、被告人同様やくざである寿男が「サバサキ」を逆手にもつた態度をみ、危険を感じた被告人の防衛行為を、前示のような、当時の周囲の事情と照らし合わせて客観的に考察すると、被告人が両手で上から押さえつけた力によつて、寿男の左大腿部に「サバサキ」が突き刺さり、そのため、同人が死亡したことは、侵害をさけるための相当な限度をこえなかつたものということができる。(なお、被告人の検察官に対する供述調書中に、「まさか自分が突き刺されるとまでは思わなかつたが………危いなとは感じました」旨の記載があるが、これは、前後矛盾した供述であり、問答の仕方によつてこのような供述がなされたものと推認せざるを得ない。そして鋭利な刃物である「サバサキ」をみた被告人が「危いな」と感じたのは、当時の事情からみて自分が突き刺されるか、斬りつけられるかすることにより、身体のみならず、生命の危険をも感じたものと解するのが相当である。)

以上の次第であつて、被告人の本件行為は、正当防衛であり、罪とならないから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

(裁判官 草場良八 武智保之助 梶本俊明)

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